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浦田理恵(ゴールボール)の結婚や職業は?出身高校や大学も調査!

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東京パラリンピックの競技「ゴールボール」が面白いと注目されています。

「ゴールボール」で活躍が期待されている浦田理恵選手です!

浦田理恵選手は2008年北京からロンドン、リオそして、東京と4都市でのパラリンピック出場を決めています。

そんな浦田理恵選手はとても美人な方でもあり、プライベートなども気になるところです。

そこで今回は、浦田理恵選手について

  • 浦田理恵選手の結婚や子供は?
  • 浦田理恵選手の現在の職業は?
  • 浦田理恵選手の出身高校や大学は?

など調べてみました!

浦田理恵選手の結婚や子供は?

浦田理恵選手は結婚されているのか?調べてみると、まだ結婚はされていないようです。独身です!

以前のインタビューで「競技と結婚を両立したい」と答えていましたので、結婚が近いのかもしれませんね。

では、浦田理恵選手のプロフィールをご紹介します。

浦田理恵のプロフィール

浦田理恵選手は、1977年7月1日生まれの43歳、熊本県南関市出身です。

浦田理恵選手はとても美人ですよね。

浦田理恵選手の名前が有名になったのは九州ローカル番組「ドォーモ」の企画で「見えない世界」として放送され、大きな反響を呼びました。その後、長期企画として密着取材され、ロンドンパラリンピックの金メダルを獲得した瞬間にも立ち会い、一気に浦田理恵選手の名前とゴールボールのことが広まり注目されるようになりました。

 

浦田理恵選手の目の病気はいつから?

両目の視力が急激に低下したのは20歳の頃で、網膜色素変性症と診断を受ける。左目の視力はなく、右目も視野が98%欠損していて、強いコントラストのものしか判別ができないそうです。

ゴールボールを始めたきっかけは?

ゴールボールを始めるきっかけは、鍼灸マッサージの免許取得で視力センターに入所した頃、学校の友人とアテネパラリンピックで日本代表が銅メダルを獲得した瞬間を見て「視聴覚障害の人でもスポーツができるんだ」と思い、ゴールボールを始めました。

ちょうど学校のクラブ活動でゴールボールとチームがあり、本格的に習い始めたそうです。競技をはじめてから3年で北京パラリンピック、ロンドンパラリンピックでは日本初の団体競技での金メダルを獲得しました。

今では日本代表の主軸として活躍していますね。

 

目の病気を発症した当時はショックで引きこもりがちとなっていたそうですが、ご両親の「自分でできることを探しなさい。頑張りなさい」という言葉で前向きになっていったそうです。

 

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浦田理恵選手の現在の職業は?

浦田理恵選手は鍼灸・マッサージの免許取得後、ヘルスキーパー(企業内理療士)として一般企業に勤務したのち、2009年からは障がい者スポーツ選手雇用センター「シーズアスリート」に所属しています。

 

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浦田理恵選手の出身高校や大学は?

浦田理恵選手の出身高校は熊本県立鹿本高等学校です。

熊本県立鹿本高等学校は熊本県山鹿市にある全日制の公立高校です。普通科と普通科体育コースがあります。

 

高校卒業後は、専門学校の福岡教員養成所に入学し卒業しています。
元々、小学校教師を目指して勉強していましたが、卒業の頃に目の病気を発症し教師の夢を諦めています。

その後、手に職をつけるため、鍼灸・マッサージの学校に通われゴールボールとの出会いがありましたね。

まとめ

今回は、東京パラリンピックのゴールボール日本代表の浦田理恵選手について「浦田理恵(ゴールボール)の結婚や職業は?出身高校や大学も調査!」と題してまとめてみました。

  • 浦田理恵選手は20歳の頃に網膜色素変性症を発症し、失明。
  • 浦田理恵選手は鍼灸・マッサージの専門学校のクラブ活動で「ゴールボール」を習い始める
  • 浦田理恵選手は、ロンドンパラリンピックで金メダルを獲得している
  • 浦田理恵選手の出身高校は、熊本県立鹿本高等学校

東京パラリンピックでもメダルの可能性が高く、応援していきたいと思います。